土星行き最終列車

西暦二六三八年。

人類は、宇宙に鉄道を走らせていた。

もちろん本物の線路ではない。 重力制御ゲートを連続展開し、宇宙空間に“見えない軌道”を作る。

その上を走る超長距離航行列車を、人々は「星間鉄道」と呼んでいた。

東京駅ならぬ、地球軌道中央駅。

毎日、火星行き、木星行き、小惑星帯行きの列車が発着する。

そして午後十一時五十分。

最後に出発するのが、土星行き最終列車だった。

車掌の朝比奈レンは、その列車に十五年間勤務していた。

三十二歳。 独身。 趣味は古い紙の切符集め。

今どき紙の切符など骨董品扱いだ。 だがレンは、改札に切符を通す“カチャン”という音が好きだった。

「発車五分前です」

AIアナウンスが響く。

レンはホームを見回した。

サラリーマン。 研究者。 観光客。 宇宙作業員。

いつもの光景だ。

だがその夜、一人だけ妙な乗客がいた。

少女だった。

十歳くらい。

大きなトランクを抱えている。

それだけなら珍しくない。

だが問題は、彼女が紙の切符を持っていたことだった。

「えっ」

レンは思わず声を漏らした。

少女は古びた切符を差し出した。

『土星行き最終列車 一等寝台』

しかも発行日は、百年前だった。

「これ……どこで?」

少女は不思議そうに首をかしげた。

「おじいちゃんにもらった」

「おじいちゃん?」

「“いつか使う日が来る”って」

レンは切符を見つめた。

本物だった。 偽造ではない。

だが百年前の切符が有効なはずがない。

普通なら無効処理だ。

しかし、その切符には見覚えがあった。

いや。 正確には、番号に見覚えがある。

「まさか……」

レンの背筋が冷えた。

その番号は、鉄道会社の都市伝説として有名だった。

“存在しない乗客番号”。

百年前、土星行き最終列車で消息を絶った少女の座席番号。

「君、名前は?」

「ユイ」

レンは息を止めた。

記録と同じ名前だった。

その時、発車ベルが鳴った。

AIアナウンスが流れる。

「土星行き最終列車、まもなく発車します」

レンは迷った。

だが結局、切符へ検印を押した。

カチャン。

少女は嬉しそうに笑った。

「ありがとう、車掌さん」

列車は静かに発車した。

窓の外で、地球の青い光が遠ざかる。

星間鉄道は音がほとんどしない。

ただ低い振動だけが、宇宙を滑る感覚を伝えてくる。

レンは乗客確認をしながら考えていた。

ユイ。

百年前に消えた少女。

もちろん同姓同名の可能性もある。

だが偶然にしては出来すぎていた。

第一、彼女はまったく歳を取っていない。

レンは一等寝台車へ向かった。

個室ドアをノックする。

「失礼します」

ユイは窓際で宇宙を見ていた。

「きれい……」

土星のリングが、遠くに細く光っている。

レンは切り出した。

「君、おじいちゃんってどこにいるの?」

ユイは少し考えた。

「たぶん、もう死んでる」

「たぶん?」

「だって、最後に会ったの百年前だから」

レンは固まった。

ユイは普通の顔で言った。

「わたし、ちょっと時間から落ちちゃったの」

「……はい?」

「駅で転んだら、次の瞬間、知らない時代だった」

レンは頭を抱えたくなった。

時間事故。

理論上は存在する。

重力制御ゲートが暴走すると、ごくまれに時空の歪みが発生する。

だが実例は確認されていない。

少なくとも公式には。

「それで、おじいちゃんが」

ユイは切符をぎゅっと握った。

「“土星行き最終列車に乗れ”って」

「なんで?」

「“そこに答えがある”って」

答え。

何の?

その時。

列車全体が大きく揺れた。

警報が鳴る。

「重力軌道異常発生」

「全乗務員は緊急配置についてください」

レンは反射的に走った。

運転室ではAI運行管理が赤く点滅している。

「どうなってる!?」

「前方空間に時空乱流を確認」

スクリーンには、宇宙空間の裂け目のようなものが映っていた。

黒い穴。

だがブラックホールとは違う。

空間そのものがノイズみたいに崩れている。

「回避できないのか!?」

「不可能。列車は五分後に接触します」

乗客たちが騒ぎ始める。

悲鳴。 怒号。

レンは歯を食いしばった。

その時、後ろから小さな声がした。

「たぶん、あれ、わたしのせい」

ユイだった。

「どういう意味?」

「時間から落ちた人がいると、時空が追いかけてくるんだって」

レンは目を見開いた。

「それを誰に聞いた?」

「おじいちゃん」

ユイは静かに言った。

「だから本当は、列車に乗っちゃいけなかったのかも」

レンは彼女を見た。

震えている。

まだ子どもだ。

百年も一人で、知らない時代をさまよってきた。

レンはため息をついた。

「そんな顔するな」

「え?」

「土星行き最終列車はな、遅れることはあっても、乗客を見捨てたことはない」

レンは通信を開いた。

「全車両へ連絡。緊急分離を行う」

AIが即座に反応する。

「推奨されません。先頭車両の切り離しは乗務員死亡率九十八パーセント」

「残り二パーセントあるなら十分だ」

レンは笑った。

ユイが叫ぶ。

「だめ!」

「車掌の仕事はな、乗客を目的地へ届けることだ」

列車後部が次々と切り離される。

白い光の中で、客車が安全軌道へ退避していく。

残ったのは先頭制御車両だけだった。

前方では時空乱流が巨大化している。

宇宙空間がねじれていた。

レンは制御レバーを握る。

「さて……最後の仕事か」

その瞬間。

ユイが前へ出た。

「違う」

「え?」

「答え、分かった」

ユイは古い切符を掲げた。

すると切符が青白く発光する。

レンは息をのんだ。

切符の裏に文字が浮かび上がっていた。

『時空航法実験用認証キー』

「なんだ、これ……」

ユイは静かに言った。

「おじいちゃん、本当は鉄道技師だったの」

「え?」

「最初の星間鉄道を作った人」

レンは凍りついた。

星間鉄道の創設者。

その名は、東雲タケル。

百年前、実験事故で死亡したとされる伝説的人物だった。

「じゃあ君は……」

「孫」

ユイは笑った。

「おじいちゃん、“未来の鉄道は人を運ぶだけじゃない”って言ってた」

切符の光が広がる。

すると時空乱流が変化した。

崩壊ではない。

巨大なレールのような光が、宇宙空間へ伸びていく。

AIが驚いた声を出した。

「未確認航路を検出」

「航路名……解析中……」

スクリーンへ文字が表示される。

『未来行き』

レンは思わず笑った。

「なんだそれ」

ユイが言った。

「おじいちゃんね、“鉄道は未来へ行くためのものだ”って」

時空乱流は、事故ではなかった。

それは未完成の新航路だったのだ。

百年前。 東雲タケルは、時空を越える鉄道を作ろうとしていた。

そして孫へ、鍵を託した。

レンはレバーを握り直した。

「行くか?」

ユイは満面の笑みでうなずいた。

「うん!」

土星行き最終列車は、光のレールへ突入した。

星々が線になる。

時間が伸びる。 縮む。

そして――。

列車が抜けた先には、誰も見たことのない宇宙が広がっていた。

巨大な人工惑星。 光る雲。 リング状都市。

AIが震える声で言った。

「到着時刻……不明」

「現在年代……不明」

レンは窓の外を見た。

そして笑った。

「いいじゃないか」

「終点が分からない列車ってのも」

ユイは窓へ顔を近づけた。

「ねえ車掌さん」

「ん?」

「ここ、未来?」

レンは少し考えて答えた。

「たぶんな」

「すごいね」

「だな」

土星行き最終列車は、静かに未知の宇宙を走っていった。